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[4]詳細事情

文部科学省 科学技術・学術政策研究所に関する問題

2026年3月28日

文部科学省 科学技術・学術政策研究所

第1調査研究グループ 客員研究官

齋藤経史

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[4A]私(齋藤経史)について

私は2020年6月1日から2025年5月31日まで、文部科学省 科学技術・学術政策研究所(NISTEP)の第1調査研究グループにおいて常勤の上席研究官として勤務していました。私は5年間の常勤勤務期間において、博士課程学生および修了者(博士人材)のキャリアパス等を調査する博士人材データベース(JGRAD)事業を担当していました。任期満了での常勤の上席研究官の退職後、2025年6月1日から2026年3月31日まで非常勤の客員研究官としての役職に就いています。

[4B]川村真理上席研究官の着任と[調査資料-317]に関する修正対応

2021年6月30日に前担当者であったJM上席研究官が任期満了により退職し、その2か月後である2021年9月1日に川村上席は第1調査研究グループに着任しました。川村上席は前担当者が行っていた仕事を引き継ぐ形式で「博士人材追跡調査(JD-Pro)」「ポストドクター等の雇用・進路に関する調査」等の担当となりました。川村上席は科学技術・学術政策研究所において、上記2つ以外の研究課題も持っていますが、研究所として最高位の報告書の種別であるNISTEP REPORTに該当した「博士人材追跡調査(JD-Pro)」および公的統計でもある「ポストドクター等の雇用・進路に関する調査」の2種のシリーズは、科学技術・学術政策研究所として重要視されている研究課題でした。

川村上席は2021年9月の着任当初からテレワーク主体の勤務形態でありましたが、当時はコロナ禍によるテレワーク推奨のルール、風潮があった時期でもあり、グループ内で特段の違和感はありませんでした。川村上席は2022年1月に前担当者が収集したデータを集計する形式で報告書を作成し、主著者として[調査資料-317]「『博士人材追跡調査』第4次報告書」を公刊しました。私が川村上席に関する問題を明確に認識したのは、3月下旬に公刊された[調査資料-317]を偶然読んだ時でした。[調査資料-317]には数ページに一つの頻度で誤字脱字、フォーマットの不整合、初歩的な解釈の誤りなどが見つかり、迅速に修正版、正誤表を公表しなくてはならない状態でした。当時の第1調査研究グループの責任者であったHT総括は、がんの療養をしながらテレワーク中心で勤務していたため、報告書案の内容確認をほとんど行うことができずに公刊してしまったということでした。なお、HT総括はその後一時的に回復されましたが、2025年11月3日に逝去されています。

2022年3月24日から3月30日にかけて私とHT総括で連携して、川村上席に早期に報告書の修正版および正誤表の公表を求めるようにメールで促しました。ただし、深刻な落ち度があると考えられる川村上席は出社して真剣に対話しようともせずテレワーク勤務を継続し、HT総括および私へのメールへの返信も遅く、不誠実であると思える文面でした。2022年3月31日でHT総括が別組織へ異動することとなり、異動者の挨拶があったことから、ようやく同日午後に川村上席は科学技術・学術政策研究所に出社しました。同日夕方、第1調査研究グループにおいて、HT総括は私およびグループの事務補助員であったTCさんが同席する場で、「異動後であっても自身も支援および確認を行うので、川村上席が[調査資料-317]の修正版および正誤表を可能な限り早急に作成し、公表すること」および「修正作業の全体統括は後任のSK総務研究官(併任:第1調査研究グループ総括上席研究官)に引き継がれること」を指示し、説明しました。川村上席はこの時、明確な返答をしませんでしたが、沈黙をしていたため合意したと見なして修正版・正誤表の作成、公開準備作業を進めることとなりました。

2022年4月に私はHT総括の後任であったSK総務研究官/総括に対して、私はメディア等に[調査資料-317]の誤った内容が採りあげられる前に迅速に修正版・正誤表を公開するべきという説明をメール連絡および総務研究官室にて行いました。SK総務研究官/総括は、迅速な修正版・正誤表の公開が必要という方向性には理解を示したものの「修正版・正誤表の作成と公開作業は自分とHT前総括(追って客員研究官となる)が統括する。それ以外の各研究官は自身の調査研究作業に注力すべきであり、各研究官は川村上席にあまり関わるべきではない」という趣旨の回答でした。私は川村上席が誠実さに欠ける人物であると認識し距離をとりたいと考えたこと、当時の上司から関わるべきではないと言われたことが相まって、以後は川村上席には可能な限り関与しない姿勢になりました。その後、2022年5月19日に[調査資料-317]の修正版・正誤表が公開されました。

[4C]WE総括の着任と在任時における対応

[調査資料-317]の修正版・正誤表の公開前の2022年5月1日にWE上席研究官が大臣官房付と併任する形で第1調査研究グループに着任し、川村上席の作業支援等を行うようになりました。その後、2022年8月1日付でWE上席研究官は第1調査研究グループのグループ長である総括上席研究官に昇格しました。

2022年8月から2024年7月のWE総括在任時においても、川村上席の勤務形態はほとんどテレワークでしたが、WE総括がメール、電話、オンライン会議によってコミュニケーション、進捗管理を行っていたため、川村上席の報告書の公開遅延も極端に大きいものではありませんでした。このWE総括の進捗管理や報告書案の確認の貢献もあって、川村上席は2023年1月に[調査資料-317]「修士課程(6年制学科を含む)在籍者を起点とした追跡調査(2021年度修了(卒業)者及び修了(卒業)予定者に関する報告)」を主著者として公刊しました。さらに、川村上席は2024年3月に[調査資料-337]「ポストドクター等の雇用・進路に関する調査(2021年度実績)」を主著者として公刊しました。川村上席の前担当者であったJM上席と比べれば、主著者としての報告書公刊速度は半分以下でしたが、それでもWE総括の支援および進捗管理の効果もあり、川村上席は主著者としての報告書を年度内に1つは公刊していました。

なお、WE総括は総括として在任していた期間中、川村上席の調査業務や報告書作成作業に関して、私やTCさんに対して明確な不満を述べたことはありませんでした。しかし、総括退任後に地方国立大学勤務となり、2024年12月11日の上京時において私とTCさんとの3名で昼食をとった際には「川村上席の報告書案を確認した際には、誤字脱字やケアレスミスが多くて大変であった。また、報告書案に記入されたデータの整合性がとれず、その確認のため川村上席にExcelの集計元データの提出を求めたが、川村上席は断固として集計元データを提出しなかった。」という旨を話されました。

[4D]橋本俊幸総括の着任とその業務姿勢

2024年8月1日にWE総括が異動となり、橋本総括が着任しました。私が担当していたJGRAD事業においては、年度内2回(9月と3月)に事業に参加している大学の関係者等の約200名がオンライン参加して事業の進捗等を報告、議論するオンラインJGRAD連絡会を開催していました。私の2024年8月における主な業務は9月5日に開催予定のオンラインJGRAD連絡会の準備の資料作成や幹部向け説明、関係者への連絡でした。橋本総括は着任間もない時期ではあったもののJGRAD事業に関して調べよう、理解しよう、連絡会準備を支援しようという姿勢は見られませんでした。ただ私に作業を任せている、私から所内幹部への説明を横で聞いているだけという姿勢でした。また、橋本総括は出勤日の8割以上は勤務時間中の13時30分から15時の間に30分程度、第1調査研究グループの座席で眠っているように見え、オンライン会議の最中にも寝落ちしていることが複数回ありました。

橋本総括の業務姿勢を示す事例の一つとして2024年の日中韓セミナーの準備作業が挙げられます。科学技術・学術政策研究所の企画課から2024年11月13日および14日に品川にて開催予定の日中韓セミナーにおいて、橋本総括と私で共同の英語発表してほしい旨の依頼を受けました。9月2日に企画課から送付された資料作成依頼メールでは、9月10日までに各発表者の英語略歴ファイルを、また9月17日までに英語発表資料ファイルを、企画課が指定した共有フォルダに格納するよう連絡がありました。英語発表資料については、橋本総括がWE前総括から引き継がれていた資料ファイルを改訂して前半部分を作成し、私が後半部分を作成する形で分担することとなりました。

英語発表資料については、橋本総括が前半パートを改訂して私にファイル送付し、私はその前半パートと私自身が作成した後半パートを統合して、9月17日までに企画課指定の共有フォルダに格納する予定でした。前任のWE総括によって前半パートの資料案は概ね完成しており改訂作業は軽微であったため、私は9月上旬には前半パートの改訂版が送付されるだろうと考えていました。しかし、所内企画課から橋本総括と私を含む発表予定者への締め切り通知のリマインダを兼ねたメールが数日おきに届くにもかかわらず、橋本総括から私への前半パートのファイル送付はありませんでした。また、英語発表資料の格納に先立ち、各発表者は9月10日までに発表者略歴ファイルを格納するよう企画課から求められていましたが、橋本総括はその締切を破り、企画課担当者から個別に督促を受けていました。また、橋本総括は企画課担当者から督促を受けても、急いで略歴ファイルを作成・格納する様子もありませんでした。加えて、私から英語発表資料の前半パート送付のことを尋ねても、明確な回答は得られませんでした。

私は2024年9月16日から9月26日までドイツ・イギリス出張となっていたため、出国前に、共有フォルダに橋本総括が改訂した発表ファイルが格納されていないことを確認した上で、発表ファイルを格納できずに出国しました。ドイツ滞在中に企画課指定の締切日の9月17日になり、企画課から本日中のファイル格納依頼のメール連絡が各発表者にありました。締切当日になっても橋本総括からメール連絡やファイル送付がなかったため、ドイツから企画課担当者にメール連絡を行い、橋本総括から企画課へのファイル共有や連絡がなかったことを確認しました。その後、私は出張先から共有フォルダにアクセスすることは困難であったため、メール添付にて企画課担当者に英語発表資料案を送付しました。なお、発表資料の締切日当日においても橋本総括から日中韓セミナーの資料とは無関係の業務メールが出張先のドイツにいる私に届き、日中韓セミナーの資料に関する言及は全くありませんでした。このため私は、橋本総括は業務における約束や締切を破ることに罪悪感を持たない印象を強めました。

帰国後の10月3日に私は橋本総括から日中韓セミナーは原則として各グループの長(総括等)が1人で発表をすることになったという説明を受けました。加えて、発表者がプレゼンテーション時に読み上げる英語スクリプトに関して、後半パートの英語スクリプトは私が作成して送付して欲しい旨を橋本総括から依頼されました。また、橋本総括自身が作成する前半パートの英語スクリプトは橋本総括から追って私に送付するので英文を確認、必要に応じて添削して欲しい旨の依頼を受けました。私はまず後半パートに関する依頼に応じる形で、10月18日に橋本総括へ後半パートの英語スクリプトを送付しました。ただし、11月7日に第1調査研究グループにおいて橋本総括と話した際に橋本総括は「約3週間前に受領した日中韓セミナーの後半パートの英語スクリプトのファイルを全く読んでいない」と言いました。

一方で、橋本総括からの確認、添削依頼の打診があった前半パートの英語スクリプト案に関しては日中韓セミナー前日の11月12日の定時勤務終了時間(18時15分)になっても私への送付はありませんでした。その日はテレワークであった私は残業後の20時57分にテレワーク終了のメール連絡を行いました。私の業務終了のメール送付直後の21時1分に橋本総括から私へメール本文のない添付ファイルのみのメールで前半パートの英語スクリプトが入ったPDFが送付されました。送付時間が遅いことおよびメール本文がないことから、橋本総括は私に前半パートの英文スクリプトのチェックや添削を求めているとも考えられませんでした。このため、私からは返信をしませんでした。

翌11月13日に品川で開催された日中韓セミナーにおいて、橋本総括に会った際「昨晩ファイルを送ったが、送る時間が遅かったので返信を期待して送ったものではない」という旨の話がありました。私はこの2024年の日中韓セミナーに関わる経験から、橋本総括の『締切や約束を破ることに抵抗はなく、締切日あるいはそれ以降になって初めて作業に取りかかる』『同僚や相手方に配慮した作業、連絡ができない』『自分の作業や連絡に落ち度があり、支援を受けたとしても、感謝や謝罪の態度や言葉はない』『同じ失敗、迷惑を繰り返して反省をしない』という業務に関する特性を理解しました。

橋本総括の業務姿勢を示す別の事例として、ある私立大学からの2024年11月6日の電話対応が挙げられます。当該大学の事務職員から第1調査研究グループの電話番号宛てにポストドクターの人数データに関する問い合わせがありました。橋本総括が受電しましたが、先方の具体的な問い合わせ内容および第1調査研究グループ内の担当者が分からず、「追って担当の齋藤または川村という者から回答する」という一次回答を行い、いったん電話を切ったとのことでした。

橋本総括は電話を切った後にTCさんを経由して、当日テレワークであった私に当該大学に内容確認の電話をしてほしいとの指示を行いました。私からTCさんに「ポストドクターの調査関係なのに、なぜ私が電話する必要があるのか。川村上席の担当調査ではないか。」と尋ねました。TCさんからも「橋本総括の人選理由は不明であり、自分自身もおかしいと思うが、とにかく齋藤上席から電話してほしいという指示が橋本総括からあった」という説明でした。私は当該大学の担当者に電話すると、川村上席担当の「ポストドクター等の雇用・進路に関する調査」に関する問い合わせであり、結果的に川村上席に連絡を引き継ぐこととなりました。このことから、橋本総括は着任後3ヶ月が経過しても、グループ内の各職員の担当調査といった基本的な情報すら把握していないと認識しました。加えて、橋本総括には当該大学からの電話を切った後に所内ファイルを10分間調べれば把握できることを調べようともせず、私やTCさんに様々な業務を丸投げする姿勢がありました。

[4E]橋本総括の川村上席に対する業務進捗管理

橋本総括着任後の川村上席の動きとして、主著者となる報告書公刊予定の大幅な延期が挙げられます。科学技術・学術政策研究所では、研究所全体のイベントや連休が重なる場合を除き、週次で所幹部および各グループ長が参加する所内連絡会議が開催されています。その会議資料の一つとして報告書スケジュールが共有されています。

9月4日の連絡会議資料では「博士人材追跡調査-第5次-」の公刊予定は2024年9月でしたが、9月11日の連絡会議資料では2025年3月に変更されており、6ヶ月の大幅延期が行われていました。科学技術・学術政策研究所全体として、報告書公刊を1~2ヶ月遅延させることは珍しくありませんが、公表予定月に入ってから6ヶ月の大幅延期は稀です。WE前総括から橋本総括に代わったことで、川村上席による報告書公刊延期が大胆に行われるようになりました。

橋本総括はWE前総括とは異なり、業務実態が不透明なテレワークが常態化している川村上席とのコミュニケーションをとろうとせず、進捗管理を行っている様子はありませんでした。私は2024年10月16日に令和6年度の上半期目標の改訂連絡と合わせて、橋本総括へ川村上席の業務実態が不透明なテレワークおよび報告書公刊の大幅遅延に関する注意喚起のメール連絡を過去のトラブルに関する資料共有と合わせて行いました。なお、そのメールには『単純な能力不足では説明がつかないほどの遅れ方なので、川村さんはテレワーク時の大半の時間は自分の科研費の研究などを行っており、NISTEPの業務を行っていない可能性が高い』とも記載しました。

加えて、この注意喚起メールには、比較的円満に実施可能な対応策として「私を含めて第1調査研究グループの研究職員全員(当時は私と川村上席の2名)に、週次で体裁を問わないデータ分析、報告書原案の経過ファイルを共有フォルダに格納してもらうよう指示を出してください。そうすれば、川村上席も週単位で報告書作成業務を進行せざるを得なくなるとともに、進捗管理もできるようになります」と進言しました。しかし、その注意喚起と対応策に関するメールへの橋本総括からの返信はなく、川村上席あるいは第1調査研究グループ全体の進捗管理を行おうとする様子はありませんでした。

10月下旬に私とTCさんの間で「橋本総括は私から10月16日に送付したメールを読み飛ばしているのではないか。あるいは橋本総括は川村上席の問題を真剣に考えておらず、放置しようとしているのではないか?」という懸念を議論しました。このため、私とTCさんの間で相談し、橋本総括を含めた3名が出勤していた10月31日に、私から「10月16日にメール連絡した川村上席対応の件について3名で小会議室にて話したい」と伝え、橋本総括とともに移動する形で文部科学省16階の小会議室において3名での議論を行いました。

その小会議室での議論では、橋本総括からは『川村上席に関する問題に関しては概要をWE前総括から聞いており、10月16日のメールも読んでいる。齋藤上席から提案があった「1調の各職員に報告書や分析のファイルの進捗を週次で各研究職員と総括とで共有する」という対応策は、11月頃から始める。』という説明がありました。私とTCさんは対応策を即座に実施しない理由を理解できませんでしたが、10月31日時点では11月中に対応策を実施するなら、そこまで急かす必要はないと考えていました。

[4F]総務課への連絡と相談

その後、12月に入っても橋本総括は川村上席とコミュニケーションをとろうとする様子は見られず、第1調査研究グループの進捗管理も開始しませんでした。また、川村上席の問題のみならず橋本総括自身にも[4D]に示した業務時間中の高頻度の睡眠および散漫な業務姿勢の問題がありました。加えて、TCさんは私とは別に「橋本総括が朝にメールでテレワークを宣言した日は特にそうなるが、急ぎのメール連絡をしても返信が返ってこない、あるいは非常に返信が遅い」等の業務に関するリスクを感じ、不満を持っていました。

私はTCさんと相談して、科学技術・学術政策研究所の総務課に橋本総括および川村上席に関する問題を情報共有し、相談しておくことにしました。12月2日に私からTCさんをCCに入れる形式で、総務課で人事関係の担当をしているMS課長補佐に簡潔な状況報告をメールで行い、総務課との議論の機会を設けたい旨の連絡を行いました。MS補佐からはST総務課長にCCを入れる形式で、対面で私達からの相談を受ける機会を持ちたい旨の返信がありました。その後、12月9日に小会議室においてMS補佐、TCさん、私の3名で議論を行うことになりました。

3名での議論において、私は橋本総括の業務時間中の高頻度の睡眠や散漫で真剣味のない業務姿勢を示した4ページの資料を作成するとともに、10月16日に私から橋本総括へ送付した川村上席に関するメール文面も補助資料として提示し、議論を行いました。MS補佐は状況を真摯に聞いた上で「おおよその状況は了解した。まずは橋本総括の上役に当たるSM総務研究官に報告した上で、おそらくSM総務研究官から橋本総括に事情説明を求めるとともに、問題のある業務態度に関しては注意してもらうことになる」という旨の回答をしました。私とTCさんからは「当面はその対応以外はなさそうに思える。しかし、入省年次の関係からか橋本総括からは『SM君』、SM総務研究官からは『橋本さん』と呼んでいる。仮にSM総務研究官から橋本総括に注意していただいたとしても、効果を期待しづらい」と話しました。

その後、12月12日においてMS補佐から「12月10日にSM総務研究官が橋本総括を一対一で総務研究官室に呼び出して橋本総括から事情を聞き、橋本総括の業務態度等に関する注意を行った。SM総務研究官の説明によると、橋本総括は齋藤上席およびTCさんが指摘した点について、すべて非を認め、反省して行動を改める旨の返答をした」という報告を口頭で受けました。しかし、橋本総括から私やTCさんに対して、自身の業務態度に関する直接の対話や説明はありませんでした。

12月20日に橋本総括から私、川村上席、TCさんに対するメール連絡で2025年1月から第1調査研究グループにIS上席研究官が着任することが周知されました。その周知と合わせて、橋本総括は1月以降において月1回、可能な限り対面で進捗状況をグループ内で共有する機会を作る方針および各研究職員の進捗状況をグループの共有フォルダに格納してもらう方針を示しました。このメールを受け、私とTCさんの間では「ようやく状況が改善するかもしれない」と話しました。

[4G]2025年1月から3月の月次グループミーティング

2025年1月10日にIS上席研究官の歓迎ランチおよび小会議室においてグループミーティングを実施しました。このグループミーティングでは調査研究のみならず庶務に関わることも議論するため、橋本総括、川村上席、IS上席、TCさん、私の計5名が参加しました。初回のグループミーティングでは主に各研究職員の業務概要と直近の作業を話すにとどまりました。このミーティングでは、共有フォルダへの進捗状況ファイルの保存方針について橋本総括が追って案を連絡するということでした。

1月10日のグループミーティングにおいて、共有フォルダへの進捗状況ファイルの保存方式を具体的に議論しませんでした。このため、私は1月14日にTCさんにCCを入れる形式で橋本総括に共有フォルダの経過ファイルの保存方式に関する具体案をメール連絡しました。私からのメールの内容として「月次ミーティングのみでは川村上席は中間生産物の提示もなく、抽象的な言い訳で報告書作成作業を遅延させることができてしまう。体裁を問わない報告書作成過程の中間生産物のファイルで良いので、週次で各職員から総括へファイルを共有してもらうことが重要となる。具体的な共有フォルダへの保存方式を示した添付のWord案をベースにグループメンバーに週次でのファイル共有の指示をして欲しい」といった旨を記載しました。しかし、この私のメール連絡に対して、橋本総括は私への返答を行わず、第1調査研究グループの研究職員へのファイル共有の指示も行いませんでした。

対面のグループミーティングは原則として各月第一週の金曜日に実施することとなり、2月は2月7日に開催する予定となりました。その前の2月5日、TCさんから私は「TCさんおよび橋本総括と川村上席との間で第1調査研究グループの予算における書籍購入に関してトラブルがあった」との連絡を受けました。TCさんからは「川村上席が私に激昂しているため、私は2月7日のグループミーティングに欠席予定としたい。加えて、私自身が2025年3月末で任期満了であるため、テレワークと休暇を利用して今後の川村上席との接点を回避する見込みです」という旨を聞きました。このため、2月7日に開催したグループミーティングには橋本総括、川村上席、IS上席、私の4名が参加となりました。グループミーティングでの議論の内容は大きな変化がなく直近において取り組んでいる業務を中心に話しました。また、共有フォルダへの進捗ファイル保存案に関しては、その日のうちに橋本総括から私へスケジュール管理のサンプルExcelを追って送付するので私に確認して欲しいという話がありました。

2月7日のミーティング後、橋本総括から私宛てにメールが送られ、添付ファイルとして「齋藤上席研究官タスク整理.xlsx」というファイル名のサンプルExcelが送付されました。このサンプルExcelの内容を確認すると、本来、総括自身が担当職員や総務課とのメール連絡を通じて把握・整理しておくべき決裁完了日、公告日、開札日等を敢えて担当職員側にリスト化させる内容でした。また、共有フォルダでのファイル共有の実質的な目的であった川村上席の報告書作成遅延を防止するための工夫も見受けられませんでした。私は、このタスク管理Excelについてコメントを付した上で返信し、1月14日に私から橋本総括に送付した「週次の中間生産物共有」をベースとした方式に戻すよう改めて提案しようと考えていました。しかし、2025年2月から3月にかけては私自身の業務が極めて多忙であったことに加え、橋本総括を含むメール連絡において他の緊急案件への対応が続いていました。そのため、タスク管理に関する返信が他の業務連絡の妨げとならないよう、この件に関するメール返信は保留することとしました。

私が担当していたJGRAD事業において従来から2月および3月は「翌年度のJGRAD運営委託の公告手配、技術審査会の実施」「3月のオンラインJGRAD連絡会に関する手配と資料準備」があり、多忙を極める時期ではありました。また、2025年においては「令和5年度 博士(後期)課程 1 年次における進路意識と経済状況に関する調査」のディスカッションペーパー(DP)の内容を3月13日に開催予定のオンラインJGRAD連絡会にて説明するため、それ以前に当該DPを公刊する必要がありました。さらに、2月13日には、科学技術・学術政策研究所の総務課から、JGRAD事業が会計検査院の検査対象となった旨の連絡がありました。会計検査院からの質問に対する回答文および関連資料作成は、JGRAD事業担当の私と橋本総括のみならず、所長、総務研究官、企画課、総務課、さらに関連する文部科学省本省の部署を含めた調整が必要となりました。このため、2月13日以降は会計検査院への対応に多くの業務時間を割くこととなりました。

私が委託手続、連絡会の準備、DPの公刊作業および会計検査院への対応に追われているうちに、3月7日の月次グループミーティングの日となりました。当日のグループミーティングは13時開始であったため、私は午前中に橋本総括に対し、2月7日に受領していたタスク整理Excelについて意見を示すメールを送付しました。そのメールにおいては「2月7日に受領したタスク整理Excelのようなファイルを逐次作成することは、研究職員に実益の少ない負荷を課すものと考えるが、反対まではしません。一方で重要なのは、体裁を問わない中間生産物のファイルを週次で共有することであり、これは科学技術・学術政策研究所の業務を行っていれば、ほとんど追加的な負荷を伴わないはずである。このため、1月14日に私から橋本総括に送付したWord案をベースとして、3名の研究職員に対し週次のファイル共有の指示を出していただきたい」といった内容を記載しました。

3月7日の月次のグループミーティングは文部科学省16階の大会議室で実施し、橋本総括、川村上席、IS上席、私が参加しました。ミーティングの主な内容としては業務の進捗状況についての情報共有であり、共有フォルダへの進捗ファイルの保存に関しては議論されませんでした。また、そのミーティングにおいて川村上席から「それまで2025年3月公刊予定としていた『博士人材追跡調査-第5次-』の公刊予定を3か月延期し、2025年6月とする」という発言がありました。その川村上席の発言に対して、橋本総括は小声で「ズルズルと遅れているね」とコメントしたのみでした。

その後、3月11日には私が主著者となるDPである「令和5年度 博士(後期)課程1年次における進路意識と経済状況に関する調査」に関する発行伺いの所内決裁を開始しました。しかし、決裁ライン途中の企画課において『JGRAD事業が会計検査院の検査対象となっている最中にJGRAD事業に関連する博士1年調査のDPを公開すると、会計検査院への説明事項が増える懸念がある』というコメントが入り、DP発行のための決裁は中断されてしまいました。ただし、3月13日のオンラインJGRAD連絡会におけるDPの内容に関する発表に関しては、JGRAD参加大学の関係者のみのクローズドミーティングであるため、「取り扱い注意」の図表であることを示した上で未公開DPの内容を一部発表することも許容することとなりました。3月13日のオンラインJGRAD連絡会の実施後、会計検査の追加対応、年度末の納品対応、翌年度の準備等で3月中下旬は多忙な状況が続きました。また、2025年3月31日には事務補助員ながらも、第1調査研究グループの業務遂行およびグループが抱える問題の解決・緩和に尽力していたTCさんが任期満了で退職しました。

年度が明けた2025年4月2日において橋本総括から川村上席、IS上席および私宛てに対面の月次ミーティングのスケジュールに関するメール連絡がありました。メールの内容としては「毎月第1金曜日に通常実施している月次ミーティングだが、事務補助員の後任となるHKさんは4月14日から勤務開始であること、加えて5月第1週はゴールデンウィーク中であることから、4月と5月の対面ミーティングの日程を変更する変更後の日程は追って連絡する」というものでした。しかし、その後、橋本総括から変更後の日程に関する連絡はなく、4月および5月には対面の月次ミーティングは実施されませんでした。なお、私は常勤職員としての任期満了が5月31日に迫っていたこともあり、橋本総括に対して月次ミーティングの開催を促すことは行いませんでした。また、私の常勤退職後の2025年6月以降も月次ミーティングは開催されていないようです。2025年7月16日の私の客員研究官としての勤務日にはIS上席から「4月以降グループの月次ミーティングは開催されておらず、2025年3月7日が最後の月次ミーティングであった」という話を聞きました。

[4H]JGRAD事業の後任人事と私の常勤退職

2025年5月31日で常勤の上席研究官として任期満了予定であった私は、2024年頃から私の退職後のJGRAD事業や、事業の後任人事に関して不安視していました。私の着任以前はウェブシステムの管理、大学・博士人材との連携、調査分析と常勤の研究職員3名で分担して担当していたところ、やむを得ず、私が1人で担当する体制となっていました。私は5月31日の任期満了後であっても、非常勤の客員研究官として連絡会実施日等の要所要所における事業支援はおそらく可能とは考えていましたが、JGRAD事業に適性と熱意を持った常勤担当者は不可欠であるとも考えていました。

しかし、橋本総括の散漫で真剣味のない業務姿勢はJGRADの後任人事およびその情報共有に関しても同様でした。JGRAD事業の後任人事の第1弾の公募は2024年10月に2025年1月17日までを応募期間として公開されました。この第1弾の公募では採用予定日が私の任期満了日翌日の6月1日となっていました。この募集要項に沿って採用できれば、JGRAD担当者不在の期間が発生しない見込みでした。しかし、第1弾の応募期間終了後も、橋本総括から私に対して採用状況に関する情報共有は一切ありませんでした。その後、2025年1月31日付けで、応募期間を3月31日までとする同内容の募集要項による第2弾の公募が公開されました。その第2弾の公募の採用予定日は7月1日となっており、私の常勤としての任期満了日から1ヶ月の期間が空くものとなっていました。

橋本総括から私への後任人事に関する情報共有はなく、尋ねて良いかどうかも不確かな状況であったため、2025年2月2日に私から総務課のMS補佐にJGRAD後任の募集、応募に関する状況を尋ねました。MS補佐からは「第1弾の公募には応募者が全くいなかったこと、第2弾の公募に関しても募集要項の記載内容を精査、改訂することもなく、同じ内容で公募を行ったこと」を聞きました。私からは「ウェブシステム運営、参加大学や博士人材との連携、調査分析業務と私が行っている仕事を機械的に列挙して応募要件にすれば、まともな人物ほど応募しなくなる。業務の中で業者に外注できる箇所、客員研究官等から支援を受けられる箇所はその旨を明示するなど、応募要件の文書を改訂すべきであった」といったことを話しました。MS補佐からは、仮に第2弾の公募で応募者が現れて採用できたとしても採用予定日は7月1日となっており、常勤のJGRAD担当者不在の期間が少なくとも1ヶ月は見込まれることが知らされました。こうしたJGRADの事業継続に関する重要な後任情報も橋本総括から私に共有、相談されないままとなっていました。

その後、2025年2月13日には[4G]にも言及したJGRAD事業が会計検査院の検査対象となったとの情報が入りました。この対応のため、JGRAD事業の引継ぎに関する相談や作業については、しばらく進めることができない状態となりました。それらがいったん落ち着いた2025年4月において総務課のMS補佐とJGRADに関する情報共有をしている際に偶然、3月末までが応募期間であったJGRAD後任公募に1人だけ応募があったという情報を得ました。私としてはJGRADの常勤担当者不在期間が1ヶ月の比較的短期間で済む望みがあると、ひとまず安堵しました。

私の常勤としての最終勤務月の5月に入っても、橋本総括から後任が採用されるのか、着任するとすればいつなのか、どのような引継ぎ準備をすれば良いのかといった連絡や相談は全くありませんでした。しかし、短くとも1ヶ月の常勤担当者不在期間が生じることに加えて、JGRADの大学・博士人材との連携やウェブシステム関連業務は多岐にわたり、数日で引継ぎ作業を行うことが困難であることは明らかでした。このため、引継ぎおよび後任支援を目的の一つとして2025年6月以降も私は非常勤の客員研究官として勤務するための「齋藤上席の客員任用に関する説明資料案」を橋本総括に5月12日に提出しました。

私が提出した、2025年6月以降の私自身の客員任用に関する説明資料を受領した橋本総括は、「この説明資料をベースに6月からの客員任用の申請を作成する」と話しました。なお、この説明資料には『想定する勤務頻度は当面は月間4日程度(オンラインでも登庁でも可)』と記載していたため、橋本総括から勤務日数等の重要部分に関しては、記載変更の連絡や相談がない限り、私からの説明資料案の記載の通りに進めるものと考えていました。

私は常勤退職後に次の勤務先への勤務開始を遅らせることになっても月4回程度、科学技術・学術政策研究所に客員研究官として出勤すれば、後任担当者と机を並べて業務のやり方を伝達したり、操作支援をしたり、適宜質問に回答したりすることができると考えました。また、常勤勤務時は多忙のため作成できなかった引継ぎ資料に関しても、客員勤務時には比較的余裕を持って作成できると考えていました。なお、この5月12日の口頭での会話以降、私の最終勤務日5月30日の午後まで橋本総括から後任や引継ぎに関する連絡・相談は一切ありませんでした。

その後、私の最終勤務日である5月30日に出勤すると、午前10時頃、総務課からのメールで客員研究官に関する委嘱依頼を受信しました。その依頼状には『期間内10日以内(1回あたり6時間)』と記載がありました。この時に勤務頻度が、説明資料に記載していた月間約4回ではなく、2026年3月末まで月間約1回であることを初めて知りました。この私の最終勤務日に一緒に昼食をとったIS上席およびHKさんとの間で「客員勤務に関して橋本総括から全く事前連絡や相談なく、依頼状で勤務予定日数が4分の1に減らされていて驚いた」という旨を話しました。

常勤としての最終勤務日の2025年5月30日15時30分頃に第1調査研究グループの座席において橋本総括から唐突に「今日、時間ある?」と尋ねられました。私から、橋本総括に時間はある旨を回答しました。その後、16時から橋本総括、IS上席、私の3名で第1調査研究グループの会議机においてJGRAD事業の引継ぎに関する約30分のミーティングを持つことになりました。

このミーティングの場において、私は橋本総括から初めてJGRAD事業の後任になる可能性がある常勤職員が2025年7月1日に採用予定であることを聞きました。ただし、その人物がJGRAD事業を担当するかは、働いてもらいながら本人の適性や意向を考慮して検討するということでした。また、私からは私自身の客員研究官としての勤務頻度が月4回ではなく月1回程度になっていることから、委託先との月次オンラインミーティング日などの要所に合わせた出勤で引継ぎや後任の支援を行いたい旨を話しました。私はこのミーティング終了後、所内関係者に挨拶に回り、科学技術・学術政策研究所の常勤の上席研究官を任期満了により退職しました。

[4I]客員研究官としての勤務と2025年9月のオンラインJGRAD連絡会に関する連絡

客員研究官としての初回の勤務日は6月23日でした。この日はテレワークで勤務し、14時からJGRAD事業の運営委託先とのオンラインミーティングを行いました。2025年度の運営委託先は、競争入札の結果として新たに選定された事業者でした。このため、JGRAD運営業務を開始してまだ約2か月程度であり、博士人材からの問い合わせ対応やウェブシステムの操作に十分に慣れていない部分がありました。私から委託先に対して参加大学および博士人材への対応に関する説明を行いました。また、委託先とのオンラインミーティング以外の勤務時間はJGRAD事業の概要に関する引継ぎ資料作成を行いました。

7月の客員勤務日は7月16日であり、私は科学技術・学術政策研究所に出勤しました。この日にJGRADの後任担当となる可能性があるIM上席と初めて対面しました。また午前は6月23日に作成しかけた引継ぎ資料を追記し、午後には委託先とのオンラインミーティングを行うとともに、夕方には作成したJGRAD事業の概要に関する引継ぎ説明を橋本総括、IM上席、IS上席に対して行いました。また、この資料はあくまで事業の大枠に関する引継ぎ資料であり、ウェブシステムの細かい操作等に関する引継ぎ資料は追って作成すること、不明点や質問があれば、適宜回答する旨も伝えました。

8月の客員勤務日は8月19日であり、私は科学技術・学術政策研究所に出勤しました。この日は2025年3月におけるJGRAD連絡会でアナウンスをしていた21,991件の休眠アカウントの削除作業を実施しました。また、委託先とのオンラインミーティングに参加するとともにIM上席にJGRADの一般公開ウェブサイトの管理アカウントを付与し、管理画面へのアクセス方法や一般公開用ウェブサイトの編集方法を説明しました。なお、結果として2025年8月19日が非常勤職員手当の給付対象となる最後の公式客員勤務日となりました。

9月は委託先とのオンラインミーティングが9月10日11時から予定されていました。このため、私はこの日はオンライン勤務となるものと考えていました。オンラインミーティング前日の9月9日19時18分に委託先の担当者からSlackの業務連絡チャンネルにおいて私を含めて@マークをつける形式で、開催概要の通知が送信されました。その返信として19時58分にIM上席は「明日の打ち合わせ、よろしくお願いいたします。齋藤は不参加とさせていただきます。よろしくお願いいたします。」というメッセージを返信しました。私は9月10日の参加予定について、IM上席から事前の確認や連絡がなかったため、このIM上席の返信に驚きました。

また、2025年9月25日14時からオンラインJGRAD連絡会が開催予定となっていました。JGRAD事業には人材データの情報管理や高度人材の調査分析に関する知見を持つ者がJGRAD関連の客員研究官として毎年度任命されています。従来からオンラインJGRAD連絡会にはJGRAD関連の客員研究官にも出席を求め、オンラインJGRAD連絡会において情報共有および必要に応じた発言を行ってもらうことが通例でした。2025年9月当時私を含めて4名のJGRAD関連の客員研究官が第1調査研究グループに在籍しており、この4名にはオンライン連絡会の参加可否の伺いがあると想定していました。

9月22日時点でIM上席から私以外の3名の客員研究官にはオンラインJGRAD連絡会の出欠可否を尋ねた様子でしたが、私への出欠伺いはありませんでした。このため、私は9月10日のIM上席による委託先とのオンラインミーティングに関する私の欠席連絡の件を含めて、IM上席に私の9月25日のオンラインJGRAD連絡会に参加可否についてSlackの業務チャンネル上で尋ねました。IM上席自身は回答を行わず「橋本総括より齋藤様へメールが送付されました。ご確認のほどよろしくお願いいたします。」という返信が返ってきました。

9月22日16時29分に橋本総括から私に届いたメールの内容は「JGRAD事業の方針転換を検討しており、新たな考え方で臨む必要性がある。このため、これまでの体制に関わっていた者は不要である可能性があり、所長・総務研究官に齋藤経史客員研究官の参加の可否に関して伺いを立てる」といったものでした。

私はそのメールに対して同日17時5分に「仮に何らかの理由でJGRAD事業に方針転換を行うにせよ、過去の運営形態やJGRADのウェブシステムを熟知している私がオンラインJGRAD連絡会に出席して状況把握をすることが事業にとって望ましいと考えます。また、仮に過去の運営形態に詳しい者が不要の可能性があるということであれば、私のみならず他の3名のJGRAD関連客員も同様に不要になると考えます。他の3名の客員に関しては事務的に出席可否を尋ねている一方で私のみ特殊な扱いにしていることには整合性がとれていません」という旨を返信しました。

同日18時54分に橋本総括は更にその返信として、私以外の3名のJGRAD関連客員との整合性には言及せず、「後任よりも齋藤経史客員研究官の方がJGRAD事業やウェブシステムに詳しいということは十分な引継ぎができていないことを示しており問題であると考える。また自分の連絡会の参加が望ましいかどうかは自ら語るべきことではない。いずれせよ9月24日に所長および総務研究官に対する説明を行うので、それまで待っていただきたい」という旨のメール連絡を私に行いました。

私は十分な引継ぎができていないのは[4H]に示したように橋本総括による責任が大きいとは考えましたが、9月24日のメール連絡を待つことにしました。その翌々日の9月24日の19時48分に橋本総括からは「本日、所長及び総務研究官に齋藤さんの出席の可否についてご説明しましたが、出席して頂く必要はないとのことでしたのでご連絡します。」という文面のメール連絡があり、私の2025年9月のオンラインJGRAD連絡会への参加が禁止されました。同日20時4分に私から橋本総括へ「9月25日のオンラインJGRAD連絡会に出席不要である旨、了解しました。」と返信しました。

[4J]塩崎所長を含む4名へのメール連絡と総務課2名との議論

上記の[4H]に示した9月22日に橋本総括から受信したメールにおいては、私が尋ねた私以外の3名のJGRAD関連客員との参加伺いに関する取り扱いの整合性に関する説明がありませんでした。これは人事院のウェブサイトにおいてパワー・ハラスメントの具体例として示されている「仕事を与えない・隔離・仲間外し・無視」に該当すると考えました。このパワー・ハラスメントの問題と合わせて、私は橋本総括に関する業務姿勢一般の問題を科学技術・学術政策研究所の塩崎所長を初めとする4名の職員にメール連絡することとしました。

私は9月26日5時25分に塩崎所長、AS総務研究官、AH総務課長、MS補佐の4名に対して連絡会の参加に関するパワー・ハラスメント問題を主題とするメール連絡を行いました。このメール添付の本資料として、Wordファイル(11ページ)の比較的詳細な経緯の説明を記載し、参考資料として[4F]の2024年12月9日の総務課への情報共有事項等のファイルを加えました。この本資料の中では[4H]に示したように主に橋本総括の問題によって、JGRAD事業の十分な引継ぎが行えていないことを説明しました。加えて、[4D][4E][4F]に示したように橋本総括の散漫で真剣味のない業務姿勢を説明するとともに、過去に私が橋本総括の業務姿勢に問題があることを総務課に報告したこと等から、私が橋本総括から疎まれている可能性があることについても記述しました。さらに、証拠資料を伴って[4E][4G]の事情を説明する際には必然的に川村上席の勤務実態の不透明なテレワークおよび反復した報告書公刊遅延に関しても言及することとなりました。

私は4名の職員宛てのメールの本文において「私としては、今回のパワー・ハラスメントに加えて、橋本総括の業務姿勢・健康状態はグループのリーダーとして不適格であると考えています。私が担当していたJGRAD事業の円滑な引継ぎを含め1調の健全化のためにも、橋本総括には早期に1調総括の役職を離れていただくべきであると考えています。」と記載しました。加えて、[4G]に示した『会計検査の対応関係によって公表が保留されていた「令和5年度 博士(後期)課程1年次における進路意識と経済状況に関する調査」のDPは、通例に従いグループ長を連名の著者として入れていたが、私の単著として公刊させていただけるようお願いします。実際に橋本総括はこの調査実施や報告書作成に全く貢献していないことに加えて、パワー・ハラスメントで訴えている対象者と共著での報告書を公刊することはできません』という旨を記載しました。

私からのメール送付後の9月26日13時59分にMS補佐にCCを入れる形で、AH課長から「メール受領をしました。今後、内容を確認の上で上司と対応方針を相談させていただく。」という受領連絡がありました。その後、週末を挟んで9月29日12時48分にMS補佐からAH課長にCCを入れる形で「メールを受信した4名でメール本文および添付資料を確認しました。今後の対応を考えるために、AH課長を含めて3名で対面の会合を持ちたい」旨の連絡がありました。なお、このMS補佐から返信があった9月29日は、[4L]にて後述する塩崎所長が科学技術・学術政策研究所の所内イントラネットに「業務運用の適正化について」という書面を掲示した日でもあります。その後、AH課長、MS補佐とは日時調整を行い、10月3日の18時に喫茶店にて対面の会合を持つことになりました。

10月3日に喫茶店で会合を行った際、AH課長とMS補佐からは、橋本総括への対応検討に関して「本件の橋本総括の行動は人事院で具体例を出しているパワー・ハラスメントに該当し、ひどいと思うものの公式の処分や配置換えなどの抜本的な対応をとることは難しい。『上司が部下に怒鳴った』『上司が部下に何度か嫌みを言った』という刑法に反しないレベルのパワー・ハラスメントに関しては、いったんハラスメントを行った者の上長が非公式に厳重注意をすることが官庁における実態としての運用になっている。非公式の厳重注意をしても再発した場合に初めて公式の処分や配置換えといった強い対応ができるようになる」という説明がありました。

私からは「パワー・ハラスメントとは異なるが、橋本総括の業務姿勢に関する問題は、2024年12月にSM前総務研究官からも非公式の厳重注意を受けている。考え方によっては2回目とカウントできる。また、2024年12月の情報共有に関しても1件ではなく複数件の問題をまとめて報告している。加えて9月26日に送付したメールの添付資料で示したようにJGRAD事業の後任人事とその情報共有、引継ぎ作業に関しても橋本総括には様々な問題行動がある」という旨を説明しましたが、AH課長、MS補佐は心情的には私の訴えを理解できるものの、現実的な措置としては難しいという説明でした。

また、これから上長から橋本総括に非公式の厳重注意を行うとしても、単著としてのディスカッションペーパーの公刊に関してもまとめて話す必要があるため、そちらの話も慣例やルールを説明して欲しいということでした。私からは「科学技術・学術政策研究所の調査研究グループではグループ名を使って調査実施した報告書に関しては、総括が着任直後であって最終稿を一読してコメントしただけの場合であっても、総括の氏名を著者に加えることが慣例となっている。ただし、この慣例は学術論文の著者基準からは逸脱しており、コメントを原稿に反映したとしても本来は謝辞に記載することが妥当だと考えられる。私が公刊してきた報告書では謝辞の下に[役割分担]というパートを作成し、「文章確認」といった項目に総括の氏名を入れることでバランスをとってきた。「文章確認」に総括氏名を記載することで実質的な貢献が小さいことに加えて、仮に分析の誤りがあった場合でも総括に責任はないことを報告書中に明記している。これまでの私が公刊した報告書では総括から第一稿に丁寧な加筆修正の意見があり、私が報告書に反映するべきと考えた場合は報告書に反映し「文章確認」に総括氏名を記載して著者に含めてきた。

しかし、3月にDPの発行伺いを起案した際に、橋本総括は指定した日時までにDP原稿に関する加筆修正の意見がなく、このDPに橋本総括の意見は反映していない。このため、今回のパワー・ハラスメントのトラブルがなかったとしても、本来は著者に加えるべきではなかった。よって、単著として公刊するべきと考えている。」という旨を話しました。AH課長、MS補佐は私の説明を聞いた上で「齋藤客員の意向はよく理解したので、持ち帰って検討させていただく」と話し、10月3日の会合は終了となりました。

その後、10月17日にAH課長およびMS補佐と喫茶店にて2回目の会合を持ちました。前回会合の私からの「DPは単著として公刊するべき」という意見を踏まえて改めて議論したところ、塩崎所長から「誤解を招くので、もはや公刊しない方が良いのではないか」という意見があったとの話がありました。私から「誤解とは、誰のどのような誤解か?」を尋ねても、AH課長およびMS補佐からは明瞭な回答は得られませんでした。私は「科学技術政策に活用できるデータや報告書を一つでも多く公開するのは科学技術・学術政策研究所の根本的な役割であると考える。また、私としても調査実施・報告書執筆に数百時間かけてきたことに加えて、多くの大学の事務担当者の協力も得て5000人以上の博士課程1年生に調査へ回答してもらっている。不明瞭な理由でお蔵入りにすることはできない。DPの公開をアピールする必要はないが、報告書ライブラリのウェブサイトに格納して閲覧、参照できるようにして欲しい」という旨を話しました。

また、AH課長とMS補佐から「7月に着任した塩崎所長は歴代の所長に比べると厳しめの方であり、非公式の厳重注意は総務研究官に任せたりせずに自分自身で橋本総括を呼び出して行う意向となっている」という話がありました。加えて、AH課長およびMS補佐から明言はなかったものの、9月24日に橋本総括から送付された「所長及び総務研究官に齋藤さんの出席の可否についてご説明しましたが、出席して頂く必要はないとのことでしたのでご連絡します。」というメール文については、実際にはそのような確認が行われなかった可能性が高いと推察するに至りました。AH課長とMS補佐は「改めて齋藤客員の意向はよく理解したので、再び持ち帰って検討させていただく」と話し、10月17日の会合は終了となりました。

その後、10月31日にMS補佐から私へ電話があり「10月下旬に橋本総括への非公式の厳重注意が終わり、齋藤客員の単著でのDPの公刊を了承してもらった。齋藤客員から提案していただいたように告知なく単著としてのDPを科学技術・学術政策研究所の報告書ライブラリに格納する予定となっている。2025年3月の報告書発行伺い版から最小限の改訂をしたファイルを送付していただきたい」という旨の連絡を受けました。その後、私から総務課へDPの原稿ファイルを送付し、所内査読に関するメールのやりとりを経た後、2025年11月26日に [DISCUSSION PAPER-242]「令和5年度 博士(後期)課程1 年次における進路意識と経済状況に関する調査 -2024年2月~2024年4月実施調査-」が報告書ライブラリにおいてウェブ公開されました。

[4K]2025年度における川村上席の勤務状況

上記の[4G]において示したように2025年3月7日の第1調査研究グループの月次ミーティングにおいて、川村上席は「博士人材追跡調査-第5次-」の公刊予定を2025年3月から6月に延長していました。その後の所内連絡会議資料の報告書スケジュールでは、6月25日の連絡会議までは2025年6月の公刊予定でしたが、7月2日の連絡会議において「7月(調整中)」に変更されました。この報告書スケジュールにおける「博士人材追跡調査-第5次-」の公刊予定が「7月(調整中)」という表記は、8月27日の連絡会議資料まで変わりませんでした。夏休みに当たる8月中旬に連絡会議の休止があったとはいえ8月下旬まで「7月の調整中」が記載されていることは、川村上席も橋本総括も報告書スケジュールの記載内容に約1ヶ月間、当該記載内容に注意すら払っていないことを示唆しています。

「博士人材追跡調査-第5次-」の公刊予定はその後、9月3日の連絡会議において「9月の調整中」となった後、10月1日の連絡会議において「10月の調整中」となりました。その後、10月29日の連絡会議においては「12月(調整中表記なし)」へと変更されました。さらに12月24日の連絡会議の資料においては2025年12月から2026年3月に延期となっており、記載された公開予定が近づくたびに、その都度公刊が先延ばしされている状況となっています。「博士人材追跡調査-第5次-」の公表予定が報告書スケジュールの資料に初めて掲載されたのは2022年9月28日の連絡会における「2023年8月公刊予定」ですので、仮に2026年3月に公刊するとしても当初予定より2年5ヶ月を先延ばししたことになります。

また、報告書スケジュールにおける「調整中」は本来、第一稿完成後に所内外に照会をしている状態を意味します。他部署や他者に第一稿を確認してもらっている状態ですので「調整中」から公刊が後ろ倒しになるとしても長くて2ヶ月です。3ヶ月以上にわたり「調整中」が反復・継続することは不自然であるとともに「調整中」から「調整中表記なし」に戻ることは通常考えられません。例えば[4I]に示した私の単著の[DISCUSSION PAPER-242]は10月29日の連絡会の報告書スケジュールにおいて、所内査読の時期として「11月の調整中」となった後に11月26日に公刊されました。

川村上席は第一稿ができておらず、所内外と全く調整していない状態であるにもかかわらず、ごまかしの「調整中」を記載した可能性があると考えます。また、橋本総括は、担当グループ長である自身が調整状況を全く把握していない「調整中」の記載を許容したか、報告書スケジュールにある「調整中」の記載を気に留めてすらいなかった可能性があると考えます。

なお、「博士人材追跡調査-第5次-」の報告書の分析対象データの調査実施期間は2022年11月7日から2022年12月9日であり、調査開始日における回答依頼は現在でも科学技術・学術政策研究所のウェブページから確認できます。(https://www.nistep.go.jp/archives/53315/)また、そのウェブページからも確認できるように、調査実施と基本集計を外部業者に委託しており、2023年3月からクリーニング済のデータ、基本集計の報告書が納品されています。委託先業者が基本集計の報告書まで作成済の調査ですので、その基本集計の報告書に肉付けする形式で1ヶ月程度注力すれば、科学技術・学術政策研究所としての報告書案は完成するはずです。2022年実施調査で調査時点から長い時間が経過していますが、税金を使って実施した調査であるとともに、4000名超の回答者がいますので、可能な限り早期に公開するべきであると考えます。

[4L]塩崎所長の橋本総括、川村上席に対する対応

これまで示してきた科学技術・学術政策研究所 第1調査研究グループに関する問題は川村上席という極めて不誠実な行動をとる人物が、2021年9月に着任したことに始まっています。その後、川村上席の形式上の上司として橋本総括という極めて無責任な対応をとる人物が、2024年8月に着任したことが問題を深刻化・複雑化させました。しかし、より根源的な問題は科学技術・学術政策研究所全体にガバナンスや自浄作用がないことです。

[4I]に示したように、2025年9月26日に私から塩崎所長を含めた4名の職員に対し、橋本総括および川村上席の問題を示すメール連絡を行いました。このメールによって塩崎所長は橋本総括および川村上席に関する深刻な問題を認識しました。その結果として、9月29日に塩崎所長は科学技術・学術政策研究所の所内イントラネットに「業務運用の適正化について」という書面を掲載しました。この書面には「グループ長による厳格な調査研究の進捗管理」「3日以上の連続テレワークの原則禁止」が示されていました。私は塩崎所長によるこのイントラネットへの掲示を読んだ際、所長として橋本総括、川村上席の問題に真剣に対応し、状況が改善する可能性を期待しました。

しかし、塩崎所長が本件に真剣に対応しようとしているという期待はすぐに裏切られました。川村上席は2025年10月に入ってもこの「3日以上の連続テレワークの原則禁止」を気にしている様子はなかったそうです。2025年10月の内勤日19日のうち18日が「終日テレワーク」、1日だけが「午前テレワーク」となっています。また、[4K]に示したように報告書スケジュールにおける「博士人材追跡調査-第5次-」の公刊予定の杜撰な記入や反復した公開遅延は2025年10月以降も変わることはありませんでした。

塩崎所長の「業務運用の適正化について」を所内イントラネットに掲示することは問題解決の初手としては理解できます。まず、特定のグループや個人を名指しせずに所内全体に対する方針を示す。その上で、その方針を守らない者がいた場合は、そのグループや個人を特定して個別に注意をする。さらに個別に注意しても行動が変わらない者がいた場合は、より厳しい注意をして、強制力のある手続きをとるという段階的措置であれば、真剣に問題を解決する姿勢があったと考えられます。しかし、そうした段階的措置をとらず初手のみで終わったことから、塩崎所長にはこの問題を真剣に解決する気は毛頭なかったのだと考えています。私が9月26日に送付したメールおよびその添付資料を読めば、川村上席も橋本総括も筋金入りの不誠実・無責任であることは理解でき、「業務運用の適正化について」の掲示という初手のみで済むような人物ではないことは容易に想像できます。ただし、塩崎所長は私からのメールを他の職員3名とともに受信したため、他の受信者に対する体裁を保つための形式的対応として「業務運用の適正化について」の書面を作成・掲示したと考えるのが自然です。

塩崎所長に真剣に問題を解決しようという気概があれば、要注意人物と認識した川村上席のテレワーク状況や報告書の公刊予定を特に注意してチェックし、方針や計画と異なっていれば、毎週連絡会議で対面するとともに、すぐに所内で会合を持てる橋本総括に繰り返し状況を尋ねることができました。塩崎所長が繰り返し確認すれば、橋本総括も川村上席の業務実態が不透明なテレワークや反復した報告書の公開遅延を放置することはできなくなるはずです。また、塩崎所長が既に要注意人物として認識している橋本総括には任せられないという確認がとれれば、塩崎所長自身や総務課に指示して川村上席を呼び出す対応をとることができました。しかし、塩崎所長がそうした対応をとりませんでした。所内イントラネットへの書面掲示後、実行力のある対応につなげない塩崎所長の姿勢を他の職員が見れば、塩崎所長の行動は体裁を保つための形式的対応に過ぎず、問題を真剣に解決する気はないと見透かされることになります。科学技術・学術政策研究所の所長が、研究所の深刻な問題を黙認する姿勢をとっている以上、他の職員には問題解決のために実質的に打つ手がなくなったと考えられます。

[4M]2025年10月以降のJGRAD事業支援と事業中止の把握

2025年9月のオンラインJGRAD連絡会に関して橋本総括が私の参加を拒否して以降、私には非常勤職員手当の給付対象となる公式客員勤務日はありませんでした。しかし、JGRAD事業が持ち直してほしいとの願いから、無報酬であっても第1調査研究グループにおけるJGRAD事業の主担当であるIM上席、副担当であるIS上席に対し、丁寧に事業支援を行ってきました。主にIM上席からSlack上で行われる質問や作業依頼に対しては、1日以内に回答・対応してきました。2025年10月以降のJGRAD事業支援に関する私からの投稿・返信は30件以上、13,000文字以上となっています。ただし、現在の常勤担当が明確に誤った認識や作業遅延、リスクのある方針をとらない限りは、前任者として細かい指摘や情報共有依頼を行うことは適切ではないと考えていました。このため、現在の常勤担当やJGRAD事業の運営委託先からの質問や依頼に対応する場合を除き、基本的には任せる姿勢をとってきました。

一方で、現在の常勤担当から私へのJGRAD事業に関する情報共有は能動的に制限する動きがありました。2025年10月中旬においてJGRAD事業において一般公開しているメーリングリストのjgrad@nistep.go.jpから私のメールアドレス(ksaito@nistep.go.jp)が無断で除外されたようでした。ただし、2025年10月から2026年3月までは、事業用メーリングリストから私のアドレスが除外された件に関して敢えて指摘せず、IM上席から問われた質問、求められた支援作業に関しては、1日以内に丁寧に対応してきました。

なお、事業用メーリングリストから私のアドレスが除外されたことに関して、当初は橋本総括による指示の可能性が想起されましたが、メーリングリストの宛先のような細部にまで注意を払う人物とは考えにくく、現在はIM上席の発案、操作であったと考えています。約5か月後の2026年3月7日、IM上席に対してSlack上で「2025年10月半ばに私をjgrad@nistep.go.jpのメーリングリストから外した際もそうでしたが、なぜ理由含めて事前に連絡してからの操作にならないのでしょうか。後ろめたいことがある、誠実ではないという判断にならざるを得ません。」と問いましたが、IM上席はその質問に回答をしませんでした。

その後、2026年2月12日頃にJGRAD参加大学の複数の関係者から私に「JGRAD事業が終わるというのは本当ですか?」という旨の質問の連絡がありました。私としても突然の質問に驚き、科学技術・学術政策研究所のウェブサイトからこの時期に公告される「JGRADサーバホスティング」「JGRAD運営委託」の調達情報を確認しました。すると「JGRADサーバホスティング」は公告されていましたが、「JGRAD運営委託」の公告はありませんでした。私は2026年度においてJGRADサーバ上の既存情報を維持する一方で、運営委託を活用した登録者拡大や情報更新を行わない方針であることを推察しました。

私は2月13日に現在の常勤担当のIM上席とIS上席に「JGRAD事業は終了予定なのでしょうか?」と尋ねたところ、まずIS上席から「JGRADは令和8年度中に運用を終了することになりました。齋藤さんにとって思い入れの強いものだとご推察します。」と返信があり、続いてIM上席から「書かれている通りホスティングは維持、運営委託は行わない方針となりました。」という返信がありました。このように私は、JGRAD参加大学(158大学)への事業中止通知がなされた後になって、初めてJGRAD事業終了の事実を知ることとなりました。その後、2月16日にJGRADのウェブサイトにおいて、JGRAD事業の中止が公表されました。(https://jgrad.nistep.go.jp/

本件の問題として第一に指摘すべきは、担当者レベルの不誠実な情報の非共有です。IM上席は、私が無報酬で継続的にJGRAD事業支援を行っていたにもかかわらず、JGRAD事業用メーリングリストからの無断除外や意図的であると考えられる情報の非共有といった対応を行いました。また、JGRAD事業の終了という重大な意思決定についても、「JGRAD運営委託」の公告方針を決定した2026年1月中旬には方向性が定まっていたと考えられますが、私および他のJGRAD関連客員研究官に対する事前の情報共有や相談は行われず、JGRAD参加大学への通知後に、大学関係者からの問い合わせを通じて初めてその事実を知るに至りました。

第二に指摘すべき問題として、管理職によって幅広い情報共有や相談が促されなかったことが挙げられます。本来、担当者が限られた情報のもとで独善的な対応をとる可能性がある場合には、管理職は担当者に広い情報共有や多様な観点からの検討を促し、適切な意思決定を支援する役割があります。しかし、橋本総括においてそのような対応は行われず、短期間かつ限られた範囲での情報共有と検討によってJGRAD事業の中止が判断されたものと考えられます。

第三に指摘すべき問題として、科学技術・学術政策研究所の組織上層部におけるガバナンス機能の不全があります。塩崎所長は、私からのメール連絡と資料、その後の所内関係者との議論によって、JGRAD事業に関する引継ぎが十分に行われていないこと、橋本総括の業務管理に重大な問題があることを認識していました。それにもかかわらず、JGRAD事業の中止という重要な判断に際して、関係者に対する十分な状況確認や意見聴取が行われた形跡はなく、結果として、ごく短期間のうちにJGRAD参加大学に対する一方的な事業中止が承認されるに至りました。

JGRAD事業の終了理由について、科学技術・学術政策研究所のJGRADウェブサイトでは「今般の博士人材に関する追跡調査手法全体の見直しを進める」ことが掲げられています。しかし、[4K]に示したように、川村上席による「博士人材追跡調査-第5次-」の報告書公刊遅延が長期間にわたり黙認されてきた事実を踏まえても、博士人材に関する調査手法の見直しが主たる理由であるとは考え難い状況です。

これまで示してきた一連の経緯からすれば、JGRAD事業の終了は、担当職員による情報共有および協力体制の構築の欠如、管理職による意思決定支援および業務管理の放棄、さらに所長を含む組織としての実効的な是正措置の欠如という、業務管理およびガバナンス上の問題が累積した結果として考えられます。すなわち、本来であれば担当者、管理職、組織上層部という各段階において機能すべき是正・統治の仕組みが、いずれの段階においても十分に機能しなかったことが、本件の根本的な問題であったと考えられます。